こんにちは医事課の濱田です。
引き続き家系図をつくろうの続きです。
系統が増えてきたのでさらに分岐して記載します、①-①が父の父方の曾祖父、①‐②が父方
の母方の曾祖母です(下記参照)。
①-①と①-②
曾祖父①-①の父母は、福井県越前町への請求であっさりと判明しました。
曾祖母①-②の父母は、同じ越前町からの入籍でしていたので再度請求してみます。
②-①と②-①
石川県羽咋市から届いた戸籍でそれぞれの、父母が判明しました。
同じ羽咋市内から入籍しているのでさらに請求をしてみます。
父方は、同じ地域からきているので遡るのが簡単です。
③-①
曽祖父は、寿都町から届いた戸籍によるとその前は「青森県北津軽郡飯詰村」から
分家したとのこと。飯詰村は、現在の「五所川原市」にあたります。
こちらも以前、母から聞いていたとおり青森から移住してきたようです。
明治17年に分家しているので、その先は望みは薄そうですが請求してみます。
【青森県五所川原市飯詰】
③-②
八雲町から届いた戸籍で曾祖母の父母の戸籍も入手できました。
曾祖母の祖父も判明しています。
どうやら戸籍だけを見ると江戸時代から八雲町(野田生)に住んでいた
ように見えます、、、。
曾祖母の母は、同じ八雲町の落部からの入籍でしたが筆頭者が祖父でした。
曾祖父の祖父というと、明治19年の戸籍が存在していないかもしれませんが、
再度請求してみます。
【八雲町落部】
こちらも戸籍上では、江戸時代から落部に住んでいたようにみえます。
当時、すでに道南地方にも「和人」が住んでいたのでその子孫のようです。
今の八雲町あたりがアイヌの人たちとの境界だったようです。
詳しくはこちら(デジタル『八雲町史』)
④-①
曽祖父の前の戸籍は、弟さんが筆頭者ので曾祖父の父が筆頭者の戸籍は残念ながら
すでに廃棄処分済でした。
曾祖父の弟さんが筆頭者の戸籍の前は、曾祖父の母が筆頭者の戸籍でしたので
中頓別町に再度請求します。
④-②
曾祖母の前の戸籍には、存命のまま隠居していたので曾祖母の父母が戸籍に
記載されていました。曾祖母の父母も判明しました。
同じく中頓別町にその前の分も請求します。
まだ続きます、、、