家系図をつくろう⑤

2025年3月19日水曜日

日常

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こんにちは医事課の濱田です。

引き続き家系図をつくろうの続きです。


系統が増えてきたのでさらに分岐して記載します、①-①が父の父方の曾祖父、①‐②が父方

の母方の曾祖母です(下記参照)。

①-①と①-②

 曾祖父①-①の父母は、福井県越前町への請求であっさりと判明しました。

 曾祖母①-②の父母は、同じ越前町からの入籍でしていたので再度請求してみます。

 

②-①と②-①

 石川県羽咋市から届いた戸籍でそれぞれの、父母が判明しました。

 同じ羽咋市内から入籍しているのでさらに請求をしてみます。

 

父方は、同じ地域からきているので遡るのが簡単です。

 

③-①

  曽祖父は、寿都町から届いた戸籍によるとその前は「青森県北津軽郡飯詰村」から

  分家したとのこと。飯詰村は、現在の「五所川原市」にあたります。

  こちらも以前、母から聞いていたとおり青森から移住してきたようです。

  明治17年に分家しているので、その先は望みは薄そうですが請求してみます。

 

            【青森県五所川原市飯詰】

③-②

  八雲町から届いた戸籍で曾祖母の父母の戸籍も入手できました。

  曾祖母の祖父も判明しています。

  どうやら戸籍だけを見ると江戸時代から八雲町(野田生)に住んでいた

  ように見えます、、、。

  

  曾祖母の母は、同じ八雲町の落部からの入籍でしたが筆頭者が祖父でした。

  曾祖父の祖父というと、明治19年の戸籍が存在していないかもしれませんが、

  再度請求してみます。

 

               【八雲町落部】


 こちらも戸籍上では、江戸時代から落部に住んでいたようにみえます。

 当時、すでに道南地方にも「和人」が住んでいたのでその子孫のようです。

 今の八雲町あたりがアイヌの人たちとの境界だったようです。

 詳しくはこちら(デジタル『八雲町史』


 ④-①

  曽祖父の前の戸籍は、弟さんが筆頭者ので曾祖父の父が筆頭者の戸籍は残念ながら

  すでに廃棄処分済でした。

  曾祖父の弟さんが筆頭者の戸籍の前は、曾祖父の母が筆頭者の戸籍でしたので

  中頓別町に再度請求します。


④-②

  曾祖母の前の戸籍には、存命のまま隠居していたので曾祖母の父母が戸籍に

  記載されていました。曾祖母の父母も判明しました。

  同じく中頓別町にその前の分も請求します。                           

 

 まだ続きます、、、

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